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寛永寺 清水観音堂
寛永寺 清水観音堂
正式名称/別称とうえいざん かんえいじ きよみずかんのんどう
東叡山 寛永寺 清水観音堂
規模 ★★★☆☆斜面部:整地基壇(コンクリート)
懸造り部:木造 黒塗り 桁行九間 梁間三間 貫二段 舞台型
上屋部:木造 朱塗り 入母屋造り 本瓦葺き 桁行五間 梁間四間 勾欄付廻縁兼舞台
文化的価値 ★★★★★重要文化財
寛永8(1631)年 建立
元禄7(1694)年 現在の地に移築
平成2〜8(1990〜1996)年 解体修理
宗教的価値 ★★★☆☆本尊:千手観世音菩薩
開山:慈眼大師天海
江戸三十三観音札所(霊場) 第六番
清水系
秘境度 ★☆☆☆☆山道なし 石段あり
〒110-0007
東京都台東区上野公園1-29
京成上野駅より徒歩約3分
眺望 ★★☆☆☆西面よりほぼ三面、上野公園、不忍池が見渡せる
京都心の上野公園内にも懸造りがあった。不忍池の弁天堂を眼下に見下ろす斜面に立つ、寛永寺に属する清水観音堂(きよみずかんのんどう)だ。徳川家康〜家光の三代将軍に仕えた天海大僧正が、江戸の街の守りとするため、京都の清水寺や比叡山になぞらえて創建したのが寛永寺である。観音堂の懸造りは、江戸時代より歌川広重の浮世絵にも描かれ、人気があったといわれている。
PHOTO BY OLYMPUS E-620
APR. 2011
寛永寺 清水観音堂1
かつては、少し北側の摺鉢山にあったが、現在の地に移されたらしい
寛永寺 清水観音堂2
前回訪れたときは真夏の木々が生い茂ってしまったときだったが、今回は桜の花が満開のちょうどいいタイミングでやってきた!
寛永寺 清水観音堂3
古くは浮世絵などでもよく描かれていた、桜を見下ろす舞台の真横からの構図
寛永寺 清水観音堂4
舞台としてはなかなか広々としていて、上野公園散策の途中に立ち寄る人も多かった
花見の時期なので、ちょうど目の前に桜の木が迫っていた
寛永寺 清水観音堂5
広重の迫力のある懸造りとは違い、現在では、おそらく史上最低の高さの懸造りといっていいだろう
寛永寺 清水観音堂6
観音堂の南側からの眺め
枝垂桜がちょうど見ごろだった
古文書・古画に見る懸造り
寛永寺 清水観音堂・浮世絵

『名所江戸百景 上野清水堂不忍ノ池』

浮世絵
歌川広重 画
安政3(1856)〜5(1858)年 制作

懸造りの柱の構造は一致していそうだが、高さや規模が誇張されていると思われる。 不忍池や弁天堂、石段の位置も現地に行ってみると忠実に描かれていると確認できる。 ただし上述の通り、現在では舞台の前の木々が生い茂りすぎて、 不忍池をここまで絶景のようには眺められない。 上手に剪定して、いい見晴し台にすればいいのに...。

寛永寺 清水観音堂・地誌

『江戸名所図会 清水堂花見図』

地誌
斎藤長秋(幸雄)、莞齋(幸孝)、月岑(幸成) 著
挿絵:長谷川雪旦 画
天保5(1834)年、天保7(1836)年 刊行

神田の町名主であった斎藤家三代に渡って書き継がれた、江戸とその近郊を記した地誌。その挿絵として、寺社仏閣等の俯瞰図を描いたのが長谷川雪旦である。
歌川広重の構図と同じだが、こちらの方が誇張も無く、実際の寸法に近い絵といえる。