風雲庵 観音堂
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正式名称/別称 | おおさとやま ふううんあん 大里山 風雲庵 |
規模 ★☆☆☆☆ | 斜面部:整地基壇(石垣) 懸造り部:木造 桁行五間 梁間三間 貫二段 束柱16本脚高約2m 上屋部:木造 入母屋造り 銅板葺き 桁行一間 梁間三間 勾欄付廻縁 |
文化的価値 ★★☆☆☆ | 創建年代不明 永禄4(1561)年 再建 元禄5(1692)年 現在の地に移築 |
宗教的価値 ★★★☆☆ | 本尊:聖観世音菩薩/清野観音 信濃三十三観音札所(霊場) 第四番 |
秘境度 ★★☆☆☆ | 山道なし 石段あり 長野県長野市松代町清野宮村452 |
眺望 ★☆☆☆☆ | 東面(正面)よりほぼ三面、目の前の林と墓地ぐらいしか見えない |
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長野県長野市の南東に位置する松代町には、狭いエリアに懸造りの寺社が多く残る。川中島の合戦が繰り広げられたり、真田十万石の城下町としても栄えたりと、中世から名だたる戦国武将たちが群雄割拠した地である。まず最初に訪れたのは、川中島最大の戦いとして有名な第四回の合戦で、上杉軍が立て篭もった妻女山(さいじょさん)の麓にある、風雲庵(ふううんあん)だ。奇しくもこの寺は、川中島の戦勝祈願で武田信玄が寄進したと伝えられる。
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両脇の石仏に囲まれた石段を登りつめると、
すぐ正面に懸造りの観音堂が現れる
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かなり小さな建物で、懸造りとしても清水観音堂
を抜いて、史上最低の高さを更新したかも?
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眺めはそれほど良くなく、斜面に展開する墓地とそれを囲む木々が見えるだけ
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観音堂としては、あまり伝統的な造りではない方かな?
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PHOTO BY OLYMPUS E-620, AUG. 2011
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