会津若松城
|
|
|
別称 | つるがじょう/くろかわじょう
鶴ヶ城/黒川城 |
立地形式 | 平山城 |
天守構造・形状 | 天守曲輪、層塔型
外観復元天守、鉄筋コンクリート造
五層五重六階地下一階 |
指定 | 国指定史跡
日本の名城100選 |
建築歴 | 至徳元(1384)年 築城(葦名直盛)
文禄2(1593)年 天守建築(蒲生氏郷)
明治7(1874)年 取り壊し
昭和40(1965)年 外観復元 |
歴代城主 | 葦名氏、伊達氏、蒲生氏、上杉氏、加藤氏、保科氏、松平氏 |
所在地 | 〒965-0873
福島県会津若松市追手町1-1 |
|
白虎が眺めた鶴ヶ城
福島県にある会津若松城は「鶴ヶ城」という呼び名の方が一般的かもしれない。
その理由を物語るエピソードとして何といっても有名なのが、白虎隊の悲劇であろう。
幕末の戊辰戦争で旧幕府軍が篭城した際に、別動隊として結成されたのが、
16〜17歳の少年隊士を中心とした白虎隊。
激闘の末、鶴ヶ城の北東にある飯盛山から彼らが眺めたのは黒煙に包まれた天守であった。
落城したと悟った白虎隊はその場で自刃して果てたのだが、実は鶴ヶ城は落城してはいなかった。
新政府軍が放った砲火で城下町が炎上しただけだったのだ。
ただしその後、ついに開城はしたものの、天守自体は崩壊することなく残っていたというから、
いかに強固な城だったかが伺えるだろう。
|
|
駐車場のある西出丸から天守へ向かう
|
|
天守には松の木がよく似合うが、城の名前に「松」の字が付くことが多いのも納得!
|
|
天守から南側に見た鉄門(くろがねもん)と干飯櫓(ほしいやぐら)、南走長屋(みなみはしりながや)
|
|
鉄門越しに見上げた天守
蒲生氏郷があげた初期の天守は七重だったといわれる
|
|
芝生が広がる本丸からの眺め
層塔型の天守が美しい
|
|
西日を受けて金色に輝く、帯曲輪側からの天守
|
PHOTO BY FUJIFILM FinePix F30, MAR. 2009
|
|